![]() |
芥川也寸志 『管弦楽のためのラプソディー』 『エローラ交響曲』 『交響三章』 湯浅卓雄 指揮 ニュージーランド交響楽団 (I.2002) |
『交響三章』を初めて耳にしたのは,おそらく中学生か高校生の頃である。芥川也寸志がONKYOだったかのステレオコンポのTVCMに出ていて,CM中でこの曲を指揮していた。当時はアマチュアオケの新交響楽団との活動が盛んであったから,TVCMのオケも新交響楽団であったかもしれない。私が高校生の頃,このオケは,山田一雄指揮のもとマーラーの交響曲演奏に取り組んでいて,その演奏会を聴きに行っていたものだったから,芥川の『交響三章』もずっと私の脳裏に焼き付いていたのだと思う。
『エローラ交響曲』は,音楽の動と静の対称が面白く,音楽に煽られて心が浮き立ってくる。ストラヴィンスキーやプロコフィエフのバレエ音楽が好きな人なら,すんなりと受け入れられる音楽だと思う。戦後の社会主義リアリズムとソ連の音楽とともに語られることの多い,芥川の音楽であるが,純日本的な感覚とダンディズムに溢れていて,土臭くなることが無い。伊福部昭とプロコフィエフのいいとこ取りといったら良いだろうか。
芥川といえば,多くの映画音楽やドラマ音楽を手がけたことでも知られていて,彼の音楽を耳にしたことのある日本人は大変多いはずである。(意識的には聴いていないであろうけど。)『交響三章』は初期の作品で,そういった映画音楽にも通じる親しみ易さを持っている。全編を通じて美しく楽しい。このCDは演奏の技量も高く録音も優秀だ。生前にこのような質の高いレコードが発売されていたら,芥川の評価も,もっと違ったものになっていたかもしれない。
![]() |
メシアン 『彼方の閃光』 サイモン・ラトル指揮 ベルリンフィルハーモニー管弦楽団 (VI.2004) |
妻が亡くなってから,一番多く聴いたのがこのCDだと思う。研究室で論文を書きながら,しばしオケの響きに心を浸す。不協和音が美しく,かつ人を暖かく包み込んでくれる。例えば,武満徹の響きは茫漠としていて,どこまでも私の心を不安にしていくが,メシアンのこの曲にそれは無い。
スピーカーから発せられるのは「音」だけなのに,全編を通して「光」の存在を感じさせるのは,正にメシアンの天才性であろう。この曲は彼のキリスト信仰に基づいているが,私には阿弥陀如来の不可思議光をしばしば連想させる。星が輝き,鳥が鳴き,愛を讃える。耽美で幸福な小宇宙がここにはある。
メシアンの最晩年の曲であり(没年1992年),メシアンが唯一録音に立ち会うことができなかった曲だそうだ。それ故か,演奏者により,解釈の幅が広いそうだ。私はこのCDしか聴いたことはないけれど。ベルリンフィルはともても上手く,音はどこまでも滑らかで響きは豊かだ。聴いていくうちに心が癒されていく。良いCDに巡り会えたと思う。
![]() |
ドヴォルザーク 弦楽四重奏のための「糸杉」B.152(全曲) 弦楽四重奏曲第14番 変イ長調 Op.105 B.193 ウィーン弦楽四重奏団 (6.1994) |
ドヴォルザークは24歳のとき初恋に破れ,その思いを18曲の歌曲集に込めた。弦楽四重奏のための「糸杉」は,それから22年後に,12曲を選び出し,弦楽四重奏用に編曲したものだ。弦楽四重奏団のコンサートで,アンコール曲として取り上げられることは多いが,全曲が1枚に収められているCDは珍しい。
曲の構造は単純で,ちょっと切なくちょっと土臭い。その一方で優しい旋律に溢れていて,疲れたときに心身を癒してくれる。
妻はあまりクラシック音楽を聴く方ではなかったが,たまに「何かかけて」と私にリクエストした。ドヴォルザークやハイドン,モーツァルトの協奏曲の幾つかがお気に入りで,曲の美しさよりも,その健康な精神を好んだ。音楽に限らず,絵画も彫刻も,日々の趣味も,精神の健康と平和を何よりも好んだ。ひとに与えることの歓びを真に知っていた女性だったと思う。合掌。
![]() |
ベートーヴェン 交響曲第4番 変ロ長調 OP.60 カルロス・クライバー指揮 バイエルン国立管弦楽団 (5.1982) |
曲の印象をがらりと変えてしまうような名演奏というのが稀にある。この演奏がそうだ。ベートーヴェンの交響曲に駄曲は無い。第4番も名曲には違いないけれど,第3番『英雄』と第5番『運命』に挟まれていて,ひっそりと野に咲く優美な花といった印象が強かった。この演奏はしなやかだけれども力強くスリリング。いま,まさに曲が生まれ出てきたというような即興性に富んでいて,フィナーレは熱狂と歓びに溢れている。終演後の拍手が長く収録されているが,聴衆の興奮がそのまま記録されているのも,ライブ録音ならでは。もちろん,綿密で厳しい練習がなければ,こういう演奏はできなかったであろう。
この録音を初めて手にしたときはLPだったから,もう20年を越える付き合いになる。それなのにいつ聴いても新鮮で,色褪せることが無い。カルロス・クライバーの遺した録音は多くはないが,古びてくることもないので,CDプレーヤーにのる回数も自ずと多くなる。ブラームス交響曲第4番,ウェーバー『魔弾の射手』,89年のニューイヤーライブ……。
生前からすでに舞台から遠ざかり伝説の指揮者となっていたが,先月,本当に伝説になってしまった。享年74歳。また一人カリスマがいなくなってしまったのは寂しい限り。
![]() |
プロコフィエフ バレエ音楽『ロメオとジュリエット』(抜粋) 交響曲第6番 変ホ短調 OP.111 シャルル・デュトワ指揮 NHK交響楽団 (5.1997, 3.1998) |
学生時代が終わるまでずっと東京で生活していた。東京は世界的にも稀なほど多くのプロのオーケストラが活動していたので,よく聴きに行ったものだった。もっともNHK交響楽団のチケットの値段は,学生の身には高嶺の花で,定期会員になっていたのは東京交響楽団だった。N響は著名な外国人指揮者もしばしば客演していて,私にとっては憧れのオーケストラだった。
デュトワが常任指揮者になったというニュースに接したときはびっくり仰天したものだが,さて,実際に聴きに行ってみると,オケの音が鮮やかで冴えに冴え,さらに驚いたものだった。このCDでも,その音の冴えを十二分に堪能することができる。日本にも世界的なオーケストラがあるんだと,日本人はもっと誇って良いのかもしれない。
そのデュトワも退任し,新しい音楽監督にはアシュケナージが就任した。さらに輝かしい未来が待ち受けているのか,それとも新たな低迷の時代が待っているのかは,私には予想がつかない。ただ「デュトワ監督時代がN響の黄金時代であった」と語られることになるだろうことは間違いないと思う。
![]() |
テレマン 『忠実な音楽の師』全曲盤 (5CD) カメラータ・ケルン (1990-91) |
テレマン(1681-1767)は12歳でオペラを作曲する程の早熟の天才だったそうだ。今日でこそ,バッハやヘンデルの陰に隠れてしまっている感があるテレマンであるが,当時(ドイツ・バロック期)は最大の人気を誇った作曲家であったのだ。当然レコード(CD)なんていうものは存在していなかったから,人々は数少ない生演奏の機会と出版された楽譜で人気作曲家の作品に接していたのだった。
この『忠実な音楽の師』は,1728年から翌年に掛けて25回,2週に一度,4ページ体裁からなる楽譜として,音楽愛好家などのために定期的に刊行された作品をまとめたもの。 すなわち今日ディアゴスティーニが雑誌出版で行っていることを280年前に実現していたわけだ。雑誌バックナンバーの永久保存版といった趣か。
実際聴いてみると,リコーダーやリュートの器楽曲,器楽合奏,アリアなどの声楽曲,詩の朗読など多彩でとても楽しい。構成は
第1課
ソナタ ヘ長調(リコーダー&通奏低音)
アリア「愛のことは話さないで」(歌劇「エーギンハルト」より)
パルティータ ト長調(チェンバロ)
ポロネーズ ニ長調(種々の楽器)
第2課
アリア「あなたの心をもとに収めて」(歌劇「エーギンハルト」より)
「冬」(種々の楽器)
第3課
序曲 ト短調(オーボエと通奏低音)
アリア「無垢はかがやく」(歌劇「サンチョ」より)
デュエット 変ロ長調(2つのリコーダー)
というような具合で第25課まである。
中学や高校の音楽の教科書を開いて,テレマンの曲をリコーダーで吹いていた少年時代をちょっと思い出す。譜面からは技術的な難しさは伺われないのに,実際に吹いてみると,感興ある音楽にはなかなかなってくれなかった。才能無かったんすね。
![]() |
オネゲル 交響曲第2番 交響曲第3番『典礼風』 他 ヘルベルト・フォン・カラヤン指揮 ベルリンフィルハーモニー管弦楽団 (8,9/1969) |
カラヤンが亡くなったのは1989年。この演奏について『ディアパゾン』誌主筆のテュブフ氏がさる雑誌に追悼記事を書いていた。「カラヤンのフランス音楽とのつき合いの限界をなしていた。」まずは「言葉ありき」の聖書の国々の中でも,特にフランスでは,音楽に対してそれ以上の言語理解を要求する人々がいて,上のような評をたまに見かけたりする。「だったらおまえも歌舞伎観たり,浮世絵見たりするなよ」っていうツッコミをついつい入れてみたくなってしまう。
フランス革命200年を記念して,オネゲルの『火刑台のジャンヌダルク』をフランス国立管弦楽団が上演したとき,そのタクトを振ったのは日本人の小澤征爾だった。フランス人はどう思ったのかは知らないが,優れた音楽家の直感が,平凡な言語理解を超えた名演だったと私には思える。このカラヤンの演奏を絶賛するフランス人も多いらしいので,言語と音楽の関係性にことさら神経質になることもないのだろう。
『典礼風』は第2次世界大戦の悲劇への鎮魂を込めて書かれた曲。ブリテンの『戦争レクィエム』やショスタコーヴィチの交響曲群とともに名高い。ブリテンの曲には,どこか「戦勝国」の気分が感じられるのだが,大陸側のオネゲルにそれは無い。この録音はオケの響きも美しく指揮ぶりも入魂だ。カラヤンのことをナチスの協力者として悪し様に云う人もいるが,真実はわからない。ただ戦後「この曲にのめり込んだ」という本人のコメントとそれを裏付ける演奏記録だけが残っている。どのような気持ちで演奏していたのだろう。純器楽なので言葉にはならないが,曲終盤に込められたメッセージの存在をこれだけ伝えてくれる演奏も珍しいのではないか。
交響曲第2番では絶頂期のベルリンフィルの弦楽合奏の凄さを聴くことができる。響きはモダンで洗練されていてカッコいい。
![]() |
バーバー ヴァイオリン協奏曲 Op. 14 チェロ協奏曲 Op. 22 他 竹澤恭子 (Vn) スティーヴン・イッサーリス (Vc) レナード・スラットキン指揮 セントルイス交響楽団 他 (4,12/1994, 5/1995) |
ヴァイオリン協奏曲の美しい響きがとても好きだ。特にこのCD,響きの融け合った冒頭の美しさといったら,ちょっと形容する言葉が見当たらない。「このようなソロとオケのバランスが,実演で実現できるはずはない」という批判が聞こえてきそうだが,野暮なことは云いっこなし。Playボタンを押したら呼吸をひそめてじっと耳を傾ける。竹澤恭子さんの洗練されていて適度に太い音と,オケのマイルドな音が絶妙に響き合う。第2楽章はとてもメロディックで,ロマンの残滓といったものを感じさせてどこかノスタルジック。だが音響はあくまでもモダンかつ都会的で,田園的にも牧歌的にもならない。こんなところから20世紀の米国が生んだ名曲であることを再認識する。
バーバー(1910-1981)って音楽史的にはどういう位置づけなのでしょう?生年はマーラー(1860-1911)の最晩年にあたるけど,その後の現代音楽のムーブメントとは全く無縁のようだし。チェロ協奏曲ではバルトークやヒンデミットを彷彿とさせるようなところも出てくるが,曲の内容は,前者の慟哭とも後者の諧謔とも無縁であるような気がする。ここら辺は,時代のトレンドというよりも,バーバーの個人体験に根ざした部分が大きいのかもしれない。個人体験といえば,バーバーはホモだったという話をどこかで見かけた記憶がある。たしかメノッティと同棲していたのではなかったっけ。コープランドやバーンスタインも,その人生を紐解けば,その手のエピソードには事欠かないようだ。音楽に限らず,現代米国の文化人について調べていくと,結構な確率で同性愛の問題に行き当たる。私的には全く理解不能でちょっとげんなり。
バーバーについて,以前は「映画『プラトーン』で使われた音楽を書いた人」という説明が通用したのだけど,最近は映画そのものも忘れ去られてしまって,これが通用しない。特に若い人は映画そのものを知らないし。映画とともに『弦楽のためのアダージョ』まで忘れ去られてしまうと,ちょっと寂しいなと思ったりもする。
![]() |
『優しき玩具』吉松隆ギター作品集 福田進一(ギター) 和谷泰扶(ハーモニカ)他 (4, 5/1997) |
慈しむようにギターを弾く福田進一さんの姿に甚く感動して購入した1枚。まぁ自分の楽器を粗末に扱う演奏家なんていないわけですが。どこまでも優しいタッチから,めくるめくような柔らかい音色が紡ぎ出されていく不思議。楽器も雰囲気も違いますが,ヨーヨー・マの実演に接したときの不思議な感動を思い出しました。虹のように千変万化していくチェロの音色と,そんな音に包み込まれる暖かさや心地良さ。アコースティック・ギターは大変音量の小さい楽器ですが,演奏者の数メートル間近で聴くことができたのは,全くラッキーな経験でした。(TVCMで見かける村治佳織さんは福田さんのお弟子さんですね。)
吉松隆氏の曲に初めて接したのは,田部京子さん(Pf)のCD『プレアデス舞曲集』で。なんとなくBGMにできるようなCDを探していたときに新譜で目に留まったので購入。レコード評論の執筆者として氏の名前を見かけてはいたものの,それまでは聴かず嫌いでした。偉そうな評論家とは一線を画したような評論を書いていて,それなりに共感をおぼえてはいたのですが。
『ベルベット・ワルツ』や『秋:11月の夢の歌』などハーモニカとのデュオを聴くと,なぜかいつも,小さかった頃の東京の下町の夕景が目に浮かんできます。「そろそろ晩ご飯だからお家に帰らなくちゃ……。」技術的なことはテンでわからないのですが,『水色スカラー』という曲は山下和仁氏をして「指が捻挫する」という難曲なのだそうです。もっとも福田さんはサラリと弾いてのけていて,素人の私には難曲の素振りも見せてはいませんでした。
![]() |
シェーンベルク『グレの歌』 小澤征爾指揮 ボストン交響楽団 他 (4/1979) |
図書館からLPレコードを借りてきて真剣に聴いていたのは高校生の頃。ドイツ文化のメルヒェンってどんなものなのか正確には知らないが,私的にはマーラーのカンタータ『嘆きの歌』やフンパーディンクの歌劇『ヘンゼルとグレーテル』なんかと同じカテゴリーに分類されている。(要は好きってことです。)ワーグナーの歌劇を聴いていると,自己陶酔ぶりや押しつけがましさが気になるときもあるのだけれども,この曲でそれを感じたことはない。ただ情より理が勝ち気味なのはシェーンベルクの曲全てに云えるかも。
他の演奏も聴くけれど,私にとってはこの録音がベスト。当時の小澤さんには強力な政治力が無かったせいなのか,共演している歌手にばらつきがあるのは残念だけど,こういう大曲を振ったときの安定感にはスゴイものがあると思う。翌年に録音されたマーラー交響曲第8番も同様。ジェシー・ノーマンの歌声が聴けるのも嬉しい。(この録音で初めてジェシー・ノーマンを知ったのだ。)テノールのマックラッケンって専門家から見てどうなんでしょう?私的にはカッコいい声だし十分満足なのですが。(どんなに美声を評価されたヘルデンテナーでも,鼻に引っかけるようにして歌う歌手はあまり好きではなかったりする。)