§Y 社会主義における国家とは何か?
 あらゆる国家は支配階級のための国家であって、資本主義社会の国家も、やはり、本質 は資本のための国家であって、労働者のための国家ではない。しかし、民主主義形態の国 家は、形式的には、国家は、国民の自由意志に基づいて、選挙による、国民の明示の信託 によって、政治を行なうことを建前としている。では資本主義の国家の否定とはなにか。
 資本のための国家は徹底的に洗いなおさなければならない。そのうえで、労働者のため 国家を作り挙げなければならない。高度の共産主義社会にいたるまでの社会主義社会では 、国家が必要であり、国家なしに、社会主義社会を発展させることは出来ない。しかし、 この国家は、レ−ニンのいったように、多数者が少数者を支配するという意味で、本来の 国家ではない。多数者が国家の政治に参加するための制度が見出されなければならない。 レ−ニンがロシアの社会主義国家として見出したものは、労働者、農民、兵士ソビエトで あった。
 レ−ニン亡き後のロシアにしても、中国にしても、これまでの社会主義国家には、特定 の指導者に対する個人崇拝の傾向があった。そして、それらの国では、法にもとずく政治 ではなく、特定の指導者の能力と資質に依存した政治、人治がおこなわれていた。いくつ かの政治的事件において、しばしば指導者によって、法がまもられず、破られてきた。法 の下での、総ての人の平等は法治主義の基本原則の一つである。
この法治主義は封建時代 の国王の専制を規制するところから生れたものであり、封建時代の政治のあり方、人治に 逆るのは歴史の逆行である。遅れた社会制度の国から社会主義になった国では、今だにこ の封建時代の政治制度すら否定しきれていないのである。
また、レ−ニンは暴力革命の特 徴の一つとして、「プロレタリア−トの執権は、ブルジョアジ−にたいするプロレタリア −トの支配であって、法律に制限されず、暴力に立脚し、かつ被搾取階級勤労大衆の共鳴 と支持とを得ているものである。(レ−ニン、国家と革命)」として、法律に制限されな い革命的行動の存在を肯定している。たしかに、暴力革命が進行している最中とか、反革 命との国内戦を戦っているときなど、それらは法律によって行なっているのではない。そ の場合ですら、大衆に支持と共鳴を得ていることが必要な条件であった。ましてそれは、 権力が人民の手中にあるようになり、暴力が第一線から退いた後では、直接暴力に立脚す る必要はなく、法律に基づいて、プロレタリア執権が行使されなければならない。プロレ タリア執権の正確な意味は、もっら暴力に立脚することではない。
 レ−ニンは別のところで次のように述べている。
「プロレタリア執権とは、もしこのラテン語の科学的・歴史的=哲学的なもっと単純な言 葉に翻訳すれば、まさに次の意味である。
 ある特定の階級だけが、すなわち都市労働者と一般に工場労働者だけが、資本のくびき を打倒する闘争において、この打倒そのものの過程において、勝利を維持し強化するため の闘争において、新しい社会主義的な社会制度を創設する事業において、階級の完全な廃 止の全闘争において、勤労者と被搾取者の全大衆を指導する能力をもっている。(レ−ニ ン、偉大なる創意)」
 スタ−リンは先に挙げた「レ−ニン主義の基礎」において、プロレタリア−トの執権の 必要性を正当にも、つぎのように述べ、
「プロレタリア−トの執権がなくとも、革命はブルジョアジ−に打ち勝ち、その権力を倒 すことが出来るだろう、だが、もし革命の一定の発展段階で、自分の基本的な支柱として 、プロレタリア−ト執権の形で特殊の機関をつくらなければ、それはブルジョアジ−の反 抗を抑圧し、勝利を維持し、社会主義の最後の勝利にむかって前進することは、もはや出 来ない。」、と指摘しているが、しかし、その内容についてはレ−ニンからの逸脱が認め られる。
彼は、先に私が引用した、レ−ニンの「国家と革命」の同じ部分を引用しながら 、その後で、プロレタリア執権について次のように述べている。
「このことから次の二つの基本的な結論が生れる。
第一の結論。プロレタリア−トの執権は、(完全な)民主主義、富者も貧者も含めたすべ ての人のための民主主義ではあり得ない。・・・プロレタリア−トの執権のもとでの民主 主義は、プロレタリア民主主義であって、搾取する少数者の権利の制限を基礎とし、かつ 、少数者に対して向けられている搾取される多数者の民主主義である。
第二の結論。プロレタリア−トの執権は、ブルジョア社会とブルジョア民主主義との平和 な発展の結果として生れることは出来ない。−−それは、ブルジョア国家機関の、ブルジ ョア軍隊の、ブルジョア官僚機構の、ブルジョア警察の破壊の結果として、はじめて生れ ることが出来る。・・・いいかえれば、プロレタリア−トの暴力革命の法則、この革命の 前提条件としてのブルジョア国家機関の破壊の法則は、世界の帝国主義諸国の革命運動の 避けることの出来ない法則である。・・」
 このスタ−リンの暴力革命不可避論の立場にたったプロレタリ革命に対する解釈と、ブ ルジョア民主主義とプロレタリア民主主義を並列的に対置し、そのうえでブルジョア民主 主義を否定する論理は、永らくレ−ニン主義の正統な解釈であるとされて来た。
民主主義に対する階級的分析の必要性の指摘は正当であるとしても、このプロレタリア執権につい ての解釈、とくに、ブルジョア民主主義とプロレタリア民主主義の関係についての、後者 が前者の弁証法的否定の結果として現われるということについての説明はまったく見られ ない。これは彼が弁証法の法則から否定の否定の法則を削除したことと無関係ではない。 うえに挙げた彼の言明は明らかな誤りを含んでいる。
ブルジョア民主主義を一切拒否する スタ−リンの論理からは、ブルジョア民主主義が作り上げて来たすべてを拒否し、その対 立物としての一党専制体制をソ連憲法にまで書き込むことになった。
 自分たちの指導者を構成員の自由な意志の結果として認める、氏族制社会の政治の形態 が、階級社会の否定にむかう社会に現われてこなければならないのに、しかも、それはブ ルジョアジ−が作りあげたもの、国民主権の原則、複数政党制、それらを基礎とした普通 選挙の結果によって、国民の意志とする制度、この制度をより徹底させ、民主的なものと することが必要であるのに、かれは民主主義そのものを否定して、封建社会の形態に逆行 してしまったのである。ブルジョア民主主義の否定の仕方に誤りを含んでいたといえる。 ブルジョア民主主義が人民主権、自由と平等の理念を掲げるかぎり、ブルジョアジ−とそ の国家機関のすすめる政策との間の現実の矛盾を明らかにし、さらに議会の革命的利用に 通じていなければならない。プロレタリア−トは自由と民主主義の擁護者とならなければ ならない。
 他方、「レ−ニン主義の基礎」でプロレタリア革命の法則とされたもの、暴力革命不可 避論と帝国主義戦争不可避論も今日の情勢のもとでは適切とは言えない。権力の移動、権 力奪取についての暴力の行使は、革命の戦術の問題であり、敵の出方との関係で決定され ることであり、プロレタリア−トはあらかじめ自らの戦術の形態を暴力だけに限定してし まうことは、今日では賢明な方針とは言えない。
§Z 資本主義の否定は商品の廃止に直結するか?
 マルクスは資本論の中で資本主義的商品生産を分析して剰余価値学説を確立し、資本主 義社会の基本的矛盾を明らかにし、社会主義革命の不可避性を明らかにした。資本主義的 商品生産体制が否定された後での社会主義企業では、生産者と生産手段の所有者の分離は 克服されなければならないことが明らかとなった。生産手段の社会的所有が社会主義企業 の基本的所有形態となる。ある企業は国有企業であり、別の企業は企業内生産者の集団所 有であるだろう。その具体的形態については国により、それまでの社会の歴史的経緯によ って異なることは明らかだが、個人所有を否定したものとなることに特徴がある。どのよ うな所有形態が最もふさわしいかはそれぞれの国民が決定する問題である。
 ここで問題とするのは、商品生産の仕方と生産手段の所有の形態ではなく、資本主義生 産の否定が商品そのものの廃止に直結するかどうかの問題である。マルクスが分析したよ うに、商品には交換価値と使用価値の二重性がある。とくに後者は具体的労働の結果であ り、それは社会の分業生産を反映したものである。社会主義革命による資本主義商品生産 の否定は、交換価値の資本家的所有を廃止することは明らかである。では社会主義革命は 資本家的所有を廃止したように、商品生産を一気に廃止することが出来るだろうか?
 エンゲルスがのべたように、それぞれの否定は、それの特殊的性質によって規定されて いる。したがって、資本の所有者が生産された商品の所有者であるとする点についての否 定は、その生産手段の所有者を資本家以外の別の人に変えることによって可能である。た だし新しい所有者または生産手段の管理者が新しい搾取者とならないためには、生産手段 の新しい所有者は生産者でなければならない。このことについては既に詳しく論じたとこ ろである。生産手段の所有者と生産者の分離が克服される。これは階級社会の否定である 。このことは社会主義革命が資本主義的搾取の否定と同時に、搾取一般の否定であるとい う特殊性からくることである。
 しかし、生産手段の所有者が生産者と同じになったからといって、無数に近い種類の生 産物がある中で、ここの生産者は、その一つの生産物の所有者であるにすぎない。彼は生 活に必要なものを他の所有者から分けてもらわなければならない。したがって生産物を相 互に交換することが必要である。すなわち、商品は存在し、まだこの段階では商品交換は 無くならない。生産物が商品の形をとることの否定は搾取の否定と同時とはならない。分 業に基づく生産ということが続くかぎり、生産物が有り余るほどに豊富になったときでな ければ、商品の形をとった生産物入手の制限は無くすことはできない。分業に基づく必要 品の生産という生産の仕方は、このような共産主義社会に入った後もさらに続くことにな るであろう。その方が生産にとっては能率的で合理的だからである。
 以上に見たように、資本主義的商品生産の否定は、二重の(二回のという意味ではない )否定が必要である。この二つの側面を持つ資本主義生産の否定を混同する事は許されな い。たとえば、ポルポト派は、カンボジアにおいて、一時的ではあるが、貨幣を廃止し、 商品そのものを廃止ししようとした。それは商品の持つ特性を無視したことだから、権力 的強制を伴わずには不可能であるし、それは極めて非民主的で自由の抑圧をもたらすこと となった。社会主義革命において否定することの出来るのは、生産手段の資本家的所有の 廃止であって、それ以外ではない。それを、商品生産そのものの否定であると見ることは 古代共産社会への復帰というよりは、貨幣経済の未発達の封建時代への逆行でしかないの であり、自由の拡大ではなく、自由の縮小、制限の強化となるのである。これと類似の現 象は、中国における、巨大人民公社が完全自給体制をめざした誤りのなかにも見られたこ とである。
§[ 毛沢東の誤り
 中国革命を指導した毛沢東の誤りは大きくいって、二つある。一つは文化大革命の誤り であり、もうひとつは対外的なもので、彼の大国主義の誤りと結びついた国際共産主義運 動についての分裂主義的干渉の誤りである。現在の中国指導者は国内政治における誤りに ついては実質的に修正する方向をとっているが、外国の共産党にたいする干渉については 誤りを認めるところには到っていない。
 彼の誤りのいくつかはスタ−リンと共通するものがあるが、スタ−リンの個性が粗暴さ であったのとは異なって、当然ではあるが彼の方が中国の古代からの思想家の影響をおお く引き継いでおり、理想主義的であり、空想家的であった。悪く言えば、より観念論的で あった。
 毛沢東の誤りの哲学的背景については、彼の哲学、「実践論」と「矛盾論」にたちいっ て分析することが必要である。「実践論」の中で、彼は認識における実践の地位と役割を 正しく指摘し、次のようにまとめている。
 「実践を通じて真理を発見し、また、実践を通じて真理を実証し、真理を発展させてい く。感性的認識から、能動的に、理性的認識にまで発展してゆき、また、理性的認識によ って能動的に、革命的実践を指導し、主観の世界と客観の世界を改造してゆく。実践、認 識、再実践、再認識というこの形式が循環往復して、無限に繰り返されてゆき、循環ごと に実践と認識の内容が常に一段と高い段階において理解されてゆく。これが弁証法的唯物 論の認識論の全体であり、これが弁証法的唯物論の知識と行動の統一の見地である。(毛 沢東、実践論)」
 彼はまた、事物の矛盾の法則を研究し、「矛盾論」の中で次のようにまとめている。 「事物の矛盾の法則、すなわち対立物の統一の法則は、自然と社会の根本法則であり、し たがってまた、思惟の根本法則でもある。」とし、矛盾の普遍性と絶対性、矛盾の特殊性 と相対性、などさまざまの側面について分析し、中国社会の特殊性の分析における、主要 な矛盾と矛盾の主要な側面についての正しい認識の重要性を強調した。これは日本帝国主 義の侵略と戦う中国人民にとって、封建的なものとの矛盾や国民党との矛盾など、様々の 矛盾の中にあって、何が主要な矛盾なのかを明らかにして、人民の戦う相手が誰であるか を示すために必要なものであった。
 では、これらの哲学的立場は、文化大革命の誤りや、人民戦争論を世界各国の共産党に 押し付けた事と関係があるのだろうか。実は彼が研究しなかったこと、彼が見落としてい たことに関係がある。その一つは先の節でに触れた否定の否定の法則に関することである 。矛盾論のなかでは彼は弁証法の三つの法則のうち、対立物の相互浸透の法則と、量質転 化の法則については詳しく研究しているが、スタ−リンと同様に、否定の否定の法則につ いては深く研究してはいない。それに関係して彼が二つの代表的哲学の著作で述べている のは、「実践論」のなかで「実践、認識、再実践、再認識というこの形式が循環往復して 、無限に繰り返されてゆき、循環ごとに実践と認識の内容が常に一段と高い段階において 理解されてゆく。」と述べているところだけである。そこでは、彼は認識の発展を取り上 げており、実質的に否定の否定の法則の形式について、語っているのである。しかし、ど のような繰り返しが法則にそった方向であるか、については「おおくの場合、何度も失敗 を繰りかえしてみて、はじめて、まちがった認識を正すことができ、客観的過程の法則性 に合致するところまでゆくのである。」と述べるにとどまっている。彼のいっていること は一面では正しいが、同時に彼は、経験主義者たちと同じく、無限定的に再実践の繰り返 しが必要であると主張するにすぎない。彼は認識における理性的認識について、また革命 的理論の持つ積極的意義について正しく述べているにもかかわらず、ここでは彼はエンゲ ルスの研究した否定の否定の法則には到達していないのである。これが、彼の哲学の限界 であり、彼の巨大な実践、文化大革命の発動を可能とした哲学的背景の一つであった。
 スタ−リンと同じく、毛沢東の外国に対する大国主義の誤りは、民族自決権についての 誤った理解であるばかりでなく、事物の発展に関する内的必然性についての、彼の哲学的 主張とも矛盾しており、自己の経験の普遍性についての誤った理解に基礎をもっている。 それはあらゆる事物についての認識における、自由で民主的な討論の重要性について、「 実践論」の中でも、「矛盾論」の中でも触れる事がなかったことと関係しており、彼を産 みだした、中国社会の民主主義の未発達の状態と関係しているのである。彼の「実践論」 の中の認識の発展に即してみるならば、それ(自由で民主的な討論)は事物の社会的認識 における感性的認識の否定による、理性的認識に到る過程において重要であり、否定の仕 方を誤れば、誤った理性的認識に至るのである。それはまた、事物の認識の限界について の多面的で科学的な検討において欠かすことは出来ない。一部において真理であったもの が、限界を越えて適用された場合には、真理と反対の物に転化することはよく知られたこ とである。個人的認識が社会的認識となる過程の問題として、この自由で民主的な討論は 欠かすことが出来ない。これらのことは毛沢東が研究しなかったことであるが、高度に発 達した社会においては当然のこととして受け入れられており、そのことが社会的制度とし ても認められている。大学の自治と学問の自由が民主主義の重要な一部と認められている のは、これらのためである。
§\ まとめ
 スタ−リンの誤りは、事物の発展についての科学、弁証法についての理解に関係があり 否定の否定の法則についての認識において、科学的社会主義からの逸脱があった。
 一つの事物の否定における、一般的なものと特殊的なものとの関係は、その事物のそれ ぞれの発展の段階によるのであり、一つの事物の一般的存在の否定と特殊的存在の否定は 一般的には分離しており、特別の発展段階において、両者は一致する。したがって、ある 事物ではそれ(一般的なものの否定と特殊的なもの否定)は分離しており(国家一般と資 本主義国家の場合、民主主義一般とブルジョア民主主義の場合、商品一般と資本主義的商 品の場合)、またある事物では、それが一体化している(搾取一般と資本主義的搾取の場 合)のである。事物の発展における、一般的なものと特殊的なもの、それぞれの発展段階 についての正しい理解には、弁証法的否定、否定の否定を研究しなければならない。
 そのものの一般的存在が寿命がつきているのか、単に特殊的存在形態が寿命がつきてい るのかについては、それぞれの事物の特殊性を研究しなければならない。複雑な社会的事 物については、このことを区別することが必要である。我々は社会主義者のなかにも、こ の点で過ちを犯す場合のあることを知った。
 
 我々は弁証法における否定の否定の法則の研究のなかから、特殊的存在の否定と一般的 存在の否定の関係を調べたが、このことは、事物の発展が二重螺旋の形態であることを教 えている。自然は、二重にとどまらず、何重にも重なった、螺旋の形態で発展するのであ り、このことは、自然の階層性として知られている事柄である。
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